
べ・ア(ベース・アップ=基本給水準の引き上げ)は、2006年・2007年あたりを除きますと、1990年代の半ば以降実施されることがほとんどないといった状態でした。ところが来春以降についてはこのべ・アの実施が現実味を帯びてきました。しかし、べ・アがあたりまえのこととして行われていた1990年代の半ばまでと現在とを比べてみると、基本給の決め方や雇用形態のあり方といった前提条件に大きな変化があるという現実をふまえる必要があります。
そこで今回は、上記前提条件の変化をふまえたうえで、どのような賃金決定・支給のあり方が望ましいのかについて考えてみたいと思います。
べ・アとは<はじめに>でも述べたとおり、基本給水準の引き上げのことを指します。1990年代の半ばまでは毎年3月ぐらいになりますと、次のような流れでべ・アを行うのが通例でした。
基本給の定期昇給(年齢給の昇給や職能給の考課に応じた昇給など)+基本給以外の諸手当の改定=賃上げを全社員について行い、合計額=賃上げ額を出す。
→賃上げ額/賃上げ前の所定労働時間内賃金額合計×100により賃上げ率が決まる。
世間相場や自社の賃金水準、支払い能力などを勘案して、所定労働時間内賃金総額をどれだけ引き上げるのか=総賃上げ額を決める。
→総賃上げ額/賃上げ前の所定労働時間内賃金額合計×100により総賃上げ率が決まる。
総賃上げ額・率−賃上げ額・率により、べ・ア額・率が決まるので、基本給の水準を一定率(%)で一律に引き上げるか=定率法、べ・ア額の原資の枠内で資格や職位など基本給の水準を区分している単位ごとに引き上げ額を決めて基本給水準の引き上げを行うか=定額法、のどちらかを選択して、ベース・アップを実行する。
なお、べ・アに代わる用語として「賃金改善」という言葉が使われることがありますが、中身は上記定額法によるべ・アと同じです。
べ・アがあたりまえのこととして行われていた当時は、原則全員正社員であり、基本給の決め方も年齢給に代表されるように年功序列が基本でした。また、物価上昇に伴う生計費(生活費)の上昇に応えるためにもべ・アは必須であったともいえます。しかし、現在は正社員以外のパート・アルバイト、契約社員といった雇用形態の従業員のウエイトが当時と比較して飛躍的に高まっている企業が多いことと考えられます。また、基本給の決め方も能力や成果、職務や役割の重要度など年齢や勤続年数とは関係のないものに大きく変化しています。
このような前提条件の大きな変化をふまえたとき、かつてと同じやり方でべ・アを実施しても、有意義な賃金原資の配分といえるのか、大きな疑問です。
今後のベース・アップは“目的を明確にすること”が何よりも重要でしょう。かつてのように基本給の決め方そのものが年功序列、年齢や物価上昇に伴う生計費(生活費)の上昇に応えることに力点が置かれなくなっている以上、何のために行うのかが明確でないべ・アは実施する意味がありません。好業績を従業員にも還元するのであればむしろ賞与の方が適しています。また、物価上昇に伴う生計費(生活費)の上昇に応えるといっても現在の基本給+諸手当の水準が生計費(生活費)の水準をすでに上回っているようであれば意義を見出すことはできません。現状、べ・アによる賃金水準の引き上げを最優先で行うべき対象は、雇用形態の違いのみによって賃金水準に格差がある人達、ではないでしょうか?具体的には、正社員と同じ仕事をしていながらパート・アルバイト、契約社員という理由だけで賃金水準が低く抑えられている人達です。こういった格差設定は法的(パートタイム労働法、労働契約法)にも問題があるのですが、実態としては根強く存在しているというのが現実です。しかし、このような格差を放置しておくことは経営的に見ても売上や利益を生み出す現場の力を低下させ、会社の持続力を損なう結果をもたらします。
経営的に見て有効な賃金原資の配分方法とは、売上や利益といった業績を最大化する配分のあり方です。このように考えれば、仕事の価値、それを生み出す能力の高さに応じた賃金決定・支給のあり方が望まれます。正社員、パート・アルバイト、契約社員といった雇用形態の違いは意味を持ちません。もう一つの考慮事項として「一度正社員として雇ってしまうとなかなか人員調整ができない」という事実は確かに存在します。しかし、このことと仕事の価値、それを生み出す能力に応じた賃金決定・支給とは分けて考える必要があります。むしろ、仕事の価値、それを生み出す能力に応じた賃金決定・支給を突き詰めていくと、次のとおり雇用形態の区分とも連動してくるものと考えられます。

高付加価値の仕事やそれを生み出す能力というものは一朝一夕に育成できるものではありませんので、一度育てた社員は会社としても手放したくないと考えるのが当然です。これに対して補助的な仕事やマニュアルどおりに行うことが求められる仕事は短期間で人材を入れ替えても対処することが可能ですから、正社員である必要はありません。
上記のような整理ができていれば法的にも経営的にも問題のない判断を極めてシンプルに行うことが可能となります。べ・アを行う目的も「パート・アルバイト、契約社員の採用のしやすさを向上させる」「正社員の士気を高め、より高いレベルの仕事を求めていく」など、明確にすることが可能となります。さらには現在の雇用・労働分野での最大の社会的課題ともいえる「正規と非正規との格差」についても、少なくとも正義に反するといった側面はなくなります。
べ・アがあたりまえのこととして行われていた1990年代の半ばまでと現在とを比べてみると、基本給の決め方が年齢や勤続年数とは関係のない、能力や成果、職務や役割の重要度などといったものに大きく変化しています。また、正社員以外のパート・アルバイト、契約社員といった雇用形態の従業員のウエイトが飛躍的に高まっています。このような前提条件の大きな変化をふまえたとき、かつてと同じやり方でべ・アを実施することは有意義な賃金原資の配分とはいえません。今後のべ・アはよりいっそう“目的を明確にすること”が大切です。その前提として必要となるのが、雇用形態別の賃金水準管理から仕事の価値、それを生み出す能力に応じた賃金水準管理への移行です。仕事の価値、それを生み出す能力に応じた賃金決定・支給を突き詰めていくと雇用形態の区分とも連動してきます。高付加価値の仕事は正社員中心、補助的な仕事やマニュアルどおりに行うことが求められる仕事はパート・アルバイト、契約社員中心となります。このような整理ができていればこそべ・アを行う目的も「パート・アルバイト、契約社員の採用のしやすさを向上させる」「正社員の士気を高め、より高いレベルの仕事を求めていく」など、明確にすることが可能となるのです。